厳選!お勧めソング 懐かしの演歌・昭和歌謡(男性)パート2

厳選 お気に入りソング! 代表曲・ヒット曲を紹介!

大好きなミュージシャンの作品を独断と偏見で3曲セレクトしました!

懐かしの演歌・昭和歌謡(男性) パート2

天知茂 大川栄策 岡晴夫 小畑実 梶光夫 春日八郎 角川博 西郷輝彦 杉良太郎 城卓矢 田端義夫 鳥羽一郎 仲正美 新沼謙治 橋幸夫 バーブ佐竹 藤山一郎 舟木一夫 フランク永井 細川たかし 美川憲一 水原弘 三田明 村田英雄 森進一 山川豊 竜鉄也 若原一郎

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舟木一夫

高校三年生(1963年)

学園広場(1963年)

絶唱(1966年)

 

生年月日:1944年12月12日、出身地:愛知県出身

 

高校2年生の時にテレビ番組「歌のチャンピオン」で優勝。これがきっかけで歌への道が開け、遠藤実さんに師事。


橋幸夫

潮来笠(1960年)

霧氷(1966年)

いつでも夢を(1962年)

 

生年月日:1943年5月3日、出身地:東京都荒川区

 

高校1年の時に、ビクターエンタテインメントのオーディションに合格、1960年に「潮来笠」でデビュー。


西郷輝彦

星のフラメンコ(1966年)

君だけを(1964年)

ねがい(1976年)

 

生年月日:1947年2月5日、出身地:鹿児島県出身

 

1963年設立したクラウンレコードにスカウトされ、北原じゅんさんの猛特訓を受けて1964年に「君だけを」でデビュー。


三田明

美しい十代(1963年)

 

生年月日:1947年6月14日、出身地:東京都昭島市

 

オーディション番組「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」で作曲家・吉田正さんに認められ芸能界入り、「美しい十代」で歌手デビュー。


仲雅美

ポーリュシカ・ポーレ(1971年)

 

生年月日:1950年11月9日、出身地:東京都中野区

 

ドラマ「冬の雲」に出演。挿入歌のロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」をカバー。オリコン年間チャートで17位、36.1万枚の大ヒットに。


細川たかし

生年月日:1950年6月15日生まれ、出身地:北海道虻田郡真狩村

心のこり(1975年)

北酒場(1982年)

浪花節だよ人生は(1984年)


村田英雄

生年月日:1929年1月17日、出身地:佐賀県唐津市

死没:2002年6月13日 

 

1958年、ラジオで若手浪曲師として注目を集めはじめた頃、古賀政男に見出され、

浪曲を歌謡曲化した『無法松の一生』で歌手デビューを果たします。


森進一

冬のリヴィエラ(1982年)

襟裳岬(1974年)

港町ブルース(1969年)

 

生年月日:1947年11月18日、出身地:鹿児島県鹿児島市

 

1966年、シングル「女のためいき」でデビュー。


城卓矢

骨まで愛して 城卓矢 - トピック

 

生年月日:1935年11月28日、出身地:樺太

 

1966年1月、城卓矢と改名して「骨まで愛して」をリリース、140万枚を売り上げる大ヒットをして有名歌手の仲間入りを果たします。 


フランク永井

有楽町で逢いましょう(1957年)

おまえに(1972年)

東京ナイトクラブ(1959年)

 

生年月日:1932年3月18日、出身地:宮城県志田郡松山町

 

1957年、有楽町そごうキャンペーンソングであった「有楽町で逢いましょう」が空前のヒット、さらに「東京午前三時」、「夜霧の第二国道」も相乗ヒットとなり、一躍トップスターになります。


水原弘

君こそわが命(1967年)

黒い花びら(1959年)

 

生年月日:1935年11月1日、出身地:東京都江東区

 

1959年、「黒い花びら」でデビュー。この年から始まった第1回日本レコード大賞を受賞。新人デビュー年の大賞受賞は現在においても唯一です。



杉良太郎

すきま風(1976年)

 

生年月日:1944年8月14日、出身地:兵庫県神戸市

 

主演した「遠山の金さん」の主題歌「すきま風」がレコードシングルで100万枚を超えるヒットに。


梶光夫

青春の城下町

 

生年月日:1944年9月9日、出身地:大阪府大阪市

 

遠藤実さんの門下に入り、1963年「黒髪」にてデビュー。舟木一夫さんの後輩として華々しくデビューし、3作目となる「青春の城下町」が大ヒット。


天知茂

昭和ブルース(1973年)

1973年4月に「非情のライセンス」のドラマが始まり、主人公の会田刑事を演じた天知茂が歌うエンディング・テーマが評判を呼びました。

(オリジナルはザ・ブルーベル・シンガーズが1969年に発売しています)

 

生年月日:1931年3月4日、出身地:愛知県名古屋市、死没:1985年7月


バーブ佐竹

女心の唄(1964年)

ネオン川(1966年)

カクテル小唄(1965年)

 

生年月日:1935年2月7日、出身地:北海道釧路市、死没:2003年

 

歌手を志して上京。流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など長い下積み生活を経て、1964年、「女心の唄」でレコードデビュー。


鳥羽一郎

兄弟船(1982年)

 

生年月日:1952年4月25日、出身地:三重県鳥羽市

 

歌手への想いを断ち切れず27歳で上京。かねてから憧れの存在だった作曲家・船村徹に弟子入りします。その後、3年間の修行生活を経て、「兄弟船」で歌手デビュー。


山川豊

生年月日:1958年10月15日

出身地;三重県鳥羽市

 

父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれ、1981年のデビュー・シングル「函館本線」がいきなりロング・ヒットを記録をします。


美川憲一

柳ヶ瀬ブルース(1966年)

さそり座の女(1972年)

おんなの朝(1970年)

 

生年月日:1946年5月15日、出身地:長野県諏訪市

 

1965年に青春歌謡「だけど だけど だけど」でデビュー。

 

翌年発表した「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚の大ヒット。映画化もされて映画初出演を果たします。


大川栄策

さざんかの宿(1982年)

目ン無い千鳥(1969年)

 

生年月日:1948年10月30日、出身地:福岡県大川市

 

高校を卒業と同時に上京し、作曲家古賀政男さんに弟子入り。1969年に「目ン無い千鳥」で念願のデビューを果たし、リバイバルヒットに。以後、地道に“古賀メロディ”を歌い続けます。


竜鉄也

奥飛騨慕情(1980年)

 

生年月日:1936年1月1日、出身地:奈良県吉野郡

 

1980年、デビュー曲「奥飛騨慕情」がロング・ヒット、ミリオンセラーを記録する。

 


角川博

涙ぐらし(1976年)

許してください(1977年)

 

生年月日:1953年12月25日、出身地:広島県広島市

 

高校卒業後、広島の歓楽街流川や福岡博多のクラブで歌い、中洲で歌っているところをスカウトされ上京、1976年4月、「涙ぐらし」で歌手デビュー。


藤山一郎

青い山脈(1949年)

長崎の鐘(1949年)

酒は涙か溜息か(1931年)

 

生年月日:1911年4月8日、出身地:東京都中央区、死没:1993年

 

東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。


春日八郎

お富さん(1954年)

別れの一本杉(1955年)

赤いランプの終列車(1952年)

 

生年月日:1924年10月9日、出身地:福島県河沼郡、死没:1991年

 

1954年お富さんと切られの与三郎の掛け合いを歌にした「お富さん」をリリース。発売3か月で30万枚、最終的には125万枚を売り上げる空前の大ヒットに。


田端義夫

かえり船(1946年)

島育ち(1962年)

 

生年月日:1919年1月1日、出身地:三重県松阪市、死没:2013年

 

愛称はバタヤン。水平に構えて持つエレキギターと、独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という挨拶で広く国民に親しまれます。


新沼謙治

おもいで岬(1976年)

嫁に来ないか(1976年)

ヘッドライト(1977年)

 

生年月日:1956年2月27日、出身地:岩手県大船渡市

 

オーディション番組「スター誕生!」に応募。5度目の予選で本戦に出場。1975年の決戦大会で五木ひろしの「哀恋記」を歌って合格。


岡晴夫

東京の花売娘

啼くな小鳩よ

憧れのハワイ航路

 

生年月日:1916年1月12日、出身地:千葉県木更津市、死没:1970年

 

1939年、「国境の春」でデビュー。すぐに「上海の花売娘」、「港シャンソン」などのヒットを飛ばし、一躍スターに。


小畑実

星影の小径(1950年)

高原の駅よさようなら(1951年)

 

生年月日:1923年4月30日、出身地:朝鮮・平壌、死没:1979年


若原一郎

おーい中村君(1958年)

吹けば飛ぶよな(1954年)

 

生年月日:1931年8月1日、出身地: 神奈川県横浜市、死没:1990年

 

NHKのど自慢で入賞し、「船に灯がつきゃ」でデビュー。1956年に「吹けば飛ぶよな」がヒットすると一躍名が知られるようになります。