寺尾聰 「出航 SASURAI」以前からCMで流れていて気になってたので...

昭和歌謡・演歌・歌謡曲 お勧めソング!

平松剛法律事務所のCMソングがすごくいい曲で、気になって調べたら、寺尾聰さんの「出航 SASURAI」という曲でした。

あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く

生きてゆく道連れは 夜明けの風さ

そうさ 夜明けの風さ 蒼い 夜明けの風さ

この曲は、1981年5月にTBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」で、6位に初登場。「SHADOW CITY」、「ルビーの指環」と3曲同時ランクインを果たしました。ただ、2曲のことはよく覚えてたのですが、この曲については、あまり記憶に残っていませんでした。

 

多分、寺尾聰さんが3曲ランクインすると、他の方の出場枠が減るので、あまり良くは思ってなかったのかも知れませんね。


寺尾聡の3部作で“日本のAOR”を作る!

「ザ・ベストテン」で3曲が同時に10位以内にランクインしたのには、ある仕掛けがありました。

“寺尾聡プロジェクト”と称された戦略の指揮をとっていた東芝EMIのプロデューサー・武藤敏史は、「SHADOW CITY」からわずか2ヶ月後に「出航 SASURAI」のリリースを決定。

 

この異例とも言える短期での連続リリースは、当初から計画していた「ルビーの指環」を売るための伏線でした。

 

YOKOHAMAタイヤとのタイアップCMが、シングル3曲を年間通してシリーズで流れるということが決定。

 

「SHADOW CITY」でスタート、「出航 SASURAI」へと切り替わったCMソングが、突然「SHADOW CITY」に戻されました。「SHADOW CITY」が浸透してゆくのに時間がかかったことで、発売から1ヶ月経った9月あたりから少しづつセールスが伸び始めた為、ヨコハマゴムに連絡をとって、CMを戻してもらうようお願いをしたそうです。結果的に、この決断が3曲同時ヒットのきっかけとなります。

 

有線放送でも「SHADOW CITY」が頻繁に流れ始め、それに導かれて“新曲”「出航 SASURAI」にも注目が集まります。

 

そのことが、昭和歌謡を代表するミリオンセラーを生み出す必要不可欠な伏線となります。

※AOR(エーオーアール)とは、アルバム・オリエンテッド・ロック、もしくはアダルト・オリエンテッド・ロックの略語です

寺尾聰 プロフィール

生年月日:1947年5月18日、出生地:神奈川県横浜市保土ケ谷区

 

1964年にフォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成、66年に「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー。

 

1968年、石原裕次郎主演の映画『黒部の太陽』で俳優デビュー。

 

1981年に発表したシングル「ルビーの指環」は、「第23回レコード大賞」、「第12回日本歌謡大賞」、「第8回FNS歌謡祭」などで大賞に輝きます。

 

大河ドラマ「国盗り物語」、「花神」、「軍師官兵衛」、連続テレビ小説「こころ」他に出演。 

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寺尾聰 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲

「出航 SASURAI」低く押し殺した歌声が魅力です

寺尾聰 あしたを、明るい日にしよう

あしたを、明るい日にしよう 平松剛法律事務所CM

1980年10月発売の5枚目のシングルです、

作詞:有川正沙子、作曲:寺尾聰

トレンチコートを着て寒そうに肩をすぼめて、咥えタバコを吸う姿のジャケットは、過去を捨てて歩き出そうとする男の哀愁を感じさせます。

 

「スーッ、スーッ」と伸びる音と断ち切るような音の繰り返しのメロディラインは、自分の母親がお茶を注ぐときの姿を見てイメージしたものです。

 

「出航」と書いて“さすらい”と読ませるのは、寺尾聡さん自身のアイディアと言われています。


「ルビーの指環」 指環と書いて“ゆびわ”と読ませました

ルビーの指環 寺尾 聰 - トピック

1981年2月発売の6枚目のシングルです。

作詞:松本隆、作曲:寺尾聰

編曲を担当した井上鑑さんは、著書の中で

そこはかとない異国情緒というか、無国籍感が漂っていて、映像が見えてくるような雰囲気があった。僕の第一印象は「良質のフランス映画の中で聞こえてくるブラジル音楽」というイメージだった。

と綴っています。


「シャドーシティ」夜の都会の街に似合う渋めの曲です

シャドーシティ

1980年8月発売の4枚目のシングルです。

作詞:有川正沙子、作曲:寺尾聰

 

イントロからドラマの始まる予感があり、ヨーロッパの雨模様の雰囲気を感じさせる楽曲です。